ゆゆ式。
ゆゆ式とはキャラット購読から本誌に手を伸ばしての出会いなので皆様ほど造詣に深いわけではありません。
ただ、好き。それだけ。
3人組が同じクラスに2組あって、先生がいて、という人間関係。
絵も何もなくキャラクター要素も抜きにして、舞台背景だけで説明すると、ごく普通の教室。
クラスが設定されて、教室に入って、最初は誰が誰だか分からない。
そのうち何人かと話をするようになって、数人毎のグループに分かれていく。
この細分化されたグループがクラスのコミュニティを形成するのは、どこの学校も同じこと。
ただ、日常系といわれる作品の中で、同じクラスの中に3人2組という描き方は珍しい部類。
そしてきちんとそれぞれが距離を置いている。
みんなまとめて仲良く、という関係ではなくて、それぞれに駆け引きがある。
誰かに対する苦手意識も隠さずに描いている。
ほんわか系とも、日常系の見本というとらえ方もあるけど、実のところ難しいことが描かれている作品。
その難しさがゆゆ式の全てであるのかも知れない。
サラッと読める。
それでお仕舞いという読み方が一番楽しめる。
もともと日常系はそのような作品。
でもゆゆ式は、サラッと読めばいいところを、サラッと読めなくさせるひとを生み出す。
唯と縁が幼なじみ。ゆずこは?
唯縁とゆずこの間にほんの少し、風が入り込む隙間のようなものが感じ取れる。
決してお互いが意識しているわけではないのだけど。
しかしそんな思いが杞憂なのかも知れないという場所がある。
唯の部屋。
なぜ唯は自分の部屋を簡単にふたりへ差し出すのか。
よだれで枕を濡らされる。
ペットボトルをこぼされる。
ふたりがベッドにあがることも許している。
お泊まり会も。
もしかするとこの物語は、唯が繋いだものなのかも知れない。
相川さんグループとの関係。
岡野さんの相川さんへの執着。
表情は乏しいけど何気に茶目っ気のある長谷川さん。
これらの描写は唯が切り開いた先から見える光景。
私にはそのように読めた。
マンガは提供された舞台を楽しむもの。
その世界には入れない、読者という神の視点。
しかし。
唯視点で読む。
ゆずこ視点で読む。
縁視点で読む。
コマ外へのベタ目線がほとんどないので3人毎の視点は掴みやすいだろう。
ただ、唯視点が一番読みやすい。
作中に於ける唯の表情の変化を絵面で確認すれば、言わんとしていることはおわかりいただけると思う。
サラッと読めばそれだけ。
それだけなんだけど。
それが出来ないひとを生み出す。
由由しき人々を。
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